おうちの神様コレクション
家には神様がいるって、いったいなぜ?
それは、日々の「不安」から神様に祈り、
そして感謝しながら暮らしていたから。
では、一体どんな神様と
一緒に暮らしていたのでしょうか。
家には神様がいるって、いったいなぜ?
それは、日々の「不安」から神様に祈り、
そして感謝しながら暮らしていたから。
では、一体どんな神様と
一緒に暮らしていたのでしょうか。
竈(※)の上やその近くで祀られる火の神様。
家族と家の神様への食事を作る火は神聖なものとされ、その管理をするのは各家の主婦でした。昔は火をおこすのにも苦労したので、主婦は火種を絶やさないよう務めたのです。
昔話「大歳の火」には、年越しの晩に種火を消してしまい慌てるお嫁さんの様子が描かれていますが、火はそれほど大切なものでした。竈神の呼び名は地域によって様々で、東北では「カマ男(かまおとこ)」といって、男の顔のお面を壁や柱に掛けます。仏教の影響を受けて「三宝荒神(さんぽうこうじん)」や「土公様(どっくうさま)」と呼び、お札を貼る地域もあります。家を火事から守ったり、子宝や良縁をもたらしたりするご利益があるとわれています。
※調理で火を使う場所。現在のキッチンのコンロに当たる。
米俵に乗り袋を持つのが大黒様。釣り竿と鯛を持つのが恵比寿様。
2柱とも七福神として有名ですが、家においては豊穣と福をもたらす神様として、大黒柱や台所の高いところに祀られるようになりました。
恵比寿様の祭りは10月20日頃が多く、これは江戸時代に商人の間で起こったえびす講が元にあり、その祭りが庶民の家にも取り込まれたのではないかと考えられています。
大黒様は元々、ヒンドゥー教の神様でしたが、日本では鎌倉〜室町時代に寺院の食堂で祀られるようになり、段々と一般家庭にもその信仰が広がりました。平安時代からは、10月に神様が出雲に集まるという伝承が徐々に浸透しましたが、大黒様・恵比寿様はその中でも留守をして家を守ると伝えられています。
井戸に祀る神様。
各家に水道がひかれる前は、遠くから水を汲み運んだり、何軒かで共同の井戸を使ったりしていました。水を運ぶのは重労働ですが、女性の仕事でした。生活や農作に欠かせない水は無駄遣いしてはいけないもので、粗末に使うと「ミズバチ」が当たると考えられていました。
水が家のすぐ近くにあったとしても、無駄遣いしない暮らしをしていたといいます。
美しい女性の姿をしたトイレの神様。
妊婦がトイレをよく掃除すると安産になるとか美しい子が生まれると言われ、赤ちゃんが生まれてから7日目には雪隠参り(せっちんまいり※)をする風習が全国的にあります。「便所の年取り」と言って、年越しに家族皆でトイレにお参りをする地域もありますし、この神様を祀ると老後に寝たきりにならないとも言われます。神様として人形を供えたり便槽に埋めたり、また、仏教の影響から「烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)」のお札を貼ったりもします。
昔のトイレはくみ取り式で、糞尿は肥料として再利用されました。
※厠も雪隠もトイレのこと
家に悪いものが入るのを防ぐ神様や守り札。有名なものに「蘇民将来(そみんしょうらい)」や「鍾馗様(しょうきさま)」、「角大師護符(つのだいしごふ)」などがあります。
蘇民将来には、「備後国風土記逸文(びんごのくにふどきいつぶん)」(『釈日本紀(しゃくにほんぎ)』)にこんな物語が残っています。旅の途中の武塔神(むとうしん)が宿を求めたので、貧しい蘇民将来は泊めてあげます。すると武塔神は一宿一飯のお礼に、蘇民将来とその娘の腰に茅の輪(ちのわ)を付けさせ、その一方で、泊めてくれなかった巨旦将来(こたんしょうらい)の家を滅ぼしてしまいました。武塔神は「私は実は須佐之男命(すさのおのみこと)で、後の世に疫気があった時、蘇民将来の子孫と言い、茅の輪を腰に付けた人は免れるだろう」と言いました。つまり、須佐之男命は荒々しい力と義理堅い一面とを持った神様なのです。
私たちは恐ろしい神様を大切に祀ることで、その力を味方につけようとしたのです。
家の裏手など、敷地内に祀る神様のことです。
地域によって「ウジガミ」や「イナリサマ」、「荒神(こうじん)」、「祝神(いわいじん)」など、様々な名前で呼ばれ、藁や木、もしくは石の社に祀られています。
家を守る神様や農業の神様、先祖などとも言われます。
決まった時期に
家にやってくる神様もいます。
その中には、
おばけのような恐ろしいものも……。
新年に運気をもたらす神様。
新年に年神様から良い運気を授けてもらえれば、良い1年になると考えられてきました。だから、年末に大掃除をして家と心身を清めて年神様を待ったのです。また、旧暦で数え年だった頃は、皆がお正月に一斉に齢を重ねたので、年齢も年神様から与えられるものと考えられていました。
だから、お正月のことを「年取り」とも呼んだのです。それを象徴するものが「お年玉」。昔のお年玉はお金ではなく、お餅でした。稲の魂が宿ったお餅を食べることで、魂の数が増え、1つ年を取るとされたのです。
2月8日を「事八日」と呼び、恐ろしい「疫病神」や「一つ目小僧」が来るとされています。「下駄や草履を外に出しっぱなしにしておくと一つ目様に焼印を押されて、その主が病気になる」という伝承があり、流行病(はやりやまい)や感染症(かんせんしょう)をもたらす存在と考えられていたようです。疫病神を追い払うために目籠(※)を高い竿の先に括り付けて表に立てる、唐辛子やサイカチという実のサヤなどを門口で焚く、さらには藁人形や御幣を持って村境まで追い出す地域もあります。
※目を粗く編んだ竹籠
「神様は神社にいる」というイメージが一般的でしょうが、これまでご紹介したように、私たち日本人は暮らしの大半を過ごす家の中でも神様を祀ってきました。
それは、生活不安の中で自然の力を頼り、ときにその大きさに畏怖しながら暮らしてきたから。その自然の力への畏れが、神様を見出し、家に祀ってきたのでしょう。
近年は、新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の拡大によって、妖怪「アマビエ」が人気となり、今では神様のように扱われています。そもそもアマビエは、江戸時代後期に肥後国(現在の熊本県)の海上に現れ、「これから疫病が流行するので、私を描き写して人々に見せなさい」と告げた、と伝えられています。
マイナーな妖怪だったアマビエを掘り起こしたのは、新型コロナへの人々の不安です。不安から神様を求めるのは、昔も今も変わらないのです。
神様への祈りとともに、感謝を感じながら暮らした過去を知ると、日々の生活がまた違って見えてきませんか?
柳田國男著・神社本庁編 | 1963年『分類祭祀習俗語彙』角川書店 |
柳田國男著 | 1969年「年中行事覚書」『定本柳田國男集 第十三巻』筑摩書房 |
1969年「新たなる太陽」『定本柳田國男集 第十三巻』筑摩書房 | |
1969年「家の神の問題」『定本柳田國男集 第十三巻』筑摩書房 | |
1969年「木綿以前の事」『定本柳田國男集 第十四巻』筑摩書房 | |
1969年「家閑談」『定本柳田國男集 第十五巻』筑摩書房 | |
1970年「山島民譚集(1)」『定本柳田國男集 第二十七巻』筑摩書房 | |
1970年「火の昔」『定本柳田國男集 第二十一巻』筑摩書房 | |
1970年「村のすがた」『定本柳田國男集 第二十一巻』筑摩書房 | |
1970年「おとら狐の話」『定本柳田國男集 第三十一巻』筑摩書房 | |
竹田聴洲 | 1976年「日本人の「家」と宗教」『日本人の行動と思想 27』評論社 |
宮田 登 | 1983年『女の霊力と家の神−日本の民俗宗教』人文書院 |
新谷尚紀 | 1999年『民俗学がわかる辞典−読む・知る・愉しむ』日本実業出版社 |
2008年『伊勢神宮と出雲大社 「日本」と「天皇」の誕生』講談社選書メチエ | |
津山正幹 | 2008年『民家と日本人−家の神・風呂・便所・カマドの文化−』考古民俗叢書 |
小川直之 | 2018年『日本の歳時伝承』角川ソフィア文庫 |