民俗学絵本『うれしいお米』展|池袋モンパルナス回遊美術館@カフェ藤香想

民俗学絵本『うれしいお米』展
民俗学絵本『うれしいお米』展|池袋モンパルナス回遊美術館@カフェ藤香想

いま、“あたりまえ” に目を向けること

民俗学という学問を、耳にしたことがありますか?
民俗学は、日本の暮らしの中にある“文化”をひもといて、より素敵な今と未来を築こうとする学問です。

“文化”と言われると、難しそうに思えるかもしれません。でも、“文化”とは暮らしの “あたりまえ”が長い時間の積み重ねによって出来上がったもの。私たちにとって、身近なものなのです。

暮らしの“あたりまえ”は、時代の移り変わりの中で変化し、風土の違いによっても異なります。文化と生活は響き合っているのです。

そんな “文化”の中には、暮らしの知恵や工夫が含まれていて、現代の私たちにも新たな発見を与えてくれます。

例えば「お米」も、私たちにとって “あたりまえ”の食べ物であり、お米を育て食べることは私たちの文化のひとつ。身近なものですが、改めて見ると、発見が隠れています。

−−いまもう一度、私たちの身の回りに目を向けてみませんか。

うれしいお米

東京・豊島区要町にある古民家カフェ「藤香想」にて9月17日〜30日まで開催中!
壁面へ5本のタペストリーでの展示です。
営業時間:11時〜21時(火曜日休み)

お米は日本人にとって、とても身近な食べ物

お米は日本人にとって、とても身近な食べ物

いま、私たちはお米を毎日食べられますが、その昔、多くの日本人にとっては “あたりまえ”の食べ物ではありませんでした。

子どもの頃、ごはんを残すと「バチが当たるぞ」とお家の人から怒られた方もいるでしょう。残すともったいないことはわかるけれど、なぜバチが当たるとまで言われたのでしょう? バチはだれが当てるのでしょうか?

日本人とお米の関係を知れば、その意味もきっとわかるはず。今日は、知ってうれしいお米のお話をしてみたいと思います。

白いご飯がご馳走だった頃

白いご飯がご馳走だった頃

日本人がいつでも白いごはんを食べられるようになったのは、今から60年ほど前。近年の研究では、稲作は紀元前10世紀(約3000年前)に九州北部に伝来したとされていますから、日本人がお米を育ててきた時間の中では、ごく最近の出来事です。

田んぼの面積が少なく、安定した収穫が望めなかった時代には、白いごはんはめったに食べられないご馳走でした。そこで普段は、お米に何かしらの食材を混ぜ込んだ「かて飯」(まぜごはん)を食べていました。

混ぜ込む食材は、麦が一般的でしたが、山がちな地域では大根、海岸沿いの地域ではワカメやヒジキといったように、その地域で採れるものを上手に活用しました。また、お米の量が少なくても満腹感が得られる「お粥」もよく食べられていたそうです。

これは、言うなれば、“そこにある物で上手に食事する工夫”であり、お米の蓄えを長持ちさせながら豊かに暮らす生活の知恵のひとつでした。

お米は日本人の力の源

お米は日本人の力の源

その昔、白いごはんを食べられたのは、お正月・田植えの時期(春)・お盆(夏)・収穫の時期(秋)、そして結婚式やお葬式でした。つまり、季節や人生の節目となる大切な日です。

年に数回だけの特別な日ですから、喜びもひとしお。滋賀県で採集されたわらべ歌には「正月サンおいでたか、雪ほど白いママ食べて……」とあり、子どもたちの白いご飯を待ちわびる気持ちが伝わってきます。

日本人が大切な日にお米とその加工品を食べたのは、お米に特別な生命力を感じていたからです。

例えば、お正月にはごはんのことを「チカラツギ」、お餅のことを「ハガタメ」と呼び、必ず食べる決まりをもつ地域もあります。

旧暦では、年越しの際に皆が一斉に年齢を重ねていたため、新年を迎えることを「年取り」とも呼んでいました。年神様がやってきて、人間に年齢(トシ)をひとつ与えると考えられていたのです。トシとは、すなわち生命力。お年玉も本来は、年神様からもらう丸餅のことを指し、生命力の玉をイメージさせる丸餅を食べることで、新たな1年を生きる力を心身につけようとしたのです。

また、節目にはお米を様々にアレンジして、楽しんで食べていました。春と秋にご先祖様を供養するお彼岸には、ぼたもち・おはぎを。豊作を感謝する秋の月見の晩には、月見団子を。そして種々の祝い事には、赤飯を。

普段に「かて飯」を食べていたのは、大切な日にお米を食べるためでもあったのです。

田植えはエンターテイメント

田植えはエンターテイメント

大切なお米を育てるにあたって、私たちは様々なお祭りをしてきました。

種まきは4月頃ですが、年始には早くも、その年の豊作を祈って田んぼに鍬(くわ)を入れたり、田の神様に供え物をしたりします。さらに、春から田植え前にかけて、豊作を祈るお祭りが日本各地で行なわれます。

例えば、2月頃には「田遊び」「御田(おんだ)」「春田打ち」などと呼ばれる予祝行事(あらかじめ祝福することで、その実現を祈る)があります。米作りの一連の所作を演じることで、実際の米作りも豊作になるように、という願いが込められています。

田植えも地域によっては、田の神様へ踊りとお囃子を捧げながら行なわれます。有名なものに、広島県山県郡北広島町壬生で毎年6月に行なわれる「壬生花田植」があります。

飾りをつけた牛に田んぼの土を平らにさせ、そのあとに、華やかな揃いの衣装を着た早乙女たちが、お囃子に合わせて田植歌を歌いながら苗を植えます。これは、重労働である田植えを楽しくこなすための工夫でもありました。

田植歌にはたくさんの歌詞があったそうですが、今では昔に比べて田植えの時間が短くなったので、たくさんの歌詞の中から選ばれたものが歌われています。壬生の田植歌は、歌の音頭を取るサンバイと早乙女の掛け合いで進められます。

歌詞には、

〽︎歌の初めにまずサンバイを参らしょう ヤハーハレヤーハレ
まずサンバイを参らしょう

などと、田の神様=サンバイを呼ぶものや、

〽︎何と早乙女さんや 浅う植えてたもれの 浅う植えりゃ一反で二斗の米が多いよ

と、田植えのコツを伝えるもの。

〽ゆうべ来た夜這い殿は赤いふんどし落とした
落としたやら忘れたやらまた来ようと置いたやら

さらには、ある時期からほとんど歌われなくなってしまいましたが、恋愛の歌詞(恋歌)もありました。︎面白い歌詞を交えて、田植えの疲れを癒そうとする意図もあったようです。

祈りと感謝の米づくり

祈りと感謝の米づくり

10月頃には、収穫を感謝して、田の神様に新穀や餅を供えます。東日本では9月29日(ミクニチ、スエグンチ)や10月10日(トウカンヤ)、西日本では10月亥の日(亥の子)や11月の良い日を選んで(霜月祭)行なわれます。毎年、勤労感謝の日(11月23日)に行なわれる「新嘗祭(にいなめさい)」も、収穫を祝うお祭りです。

毎年、お米を育てる前に豊作を祈り、無事に収穫できたら感謝を捧げる。
−−−米づくりには、神様と自然への“祈りと感謝のサイクル”があるのです。

米作りは1年がかりの大変な作業です。しかし日本人は、自然の周期の中から生活と米作りの周期を見出して、お祭りを含めた1年の周期を作り上げてきました。それは、お米に特別な生命力を感じていたから。そして何より、お米はとても美味しいから。

お米文化は、日本人の生活と心身そのものを築いてきたと言ってもいいでしょう。ごはんを残すと「バチがあたる」と言ったのも、お米を大切にする心の表れなのです。

今では、白いごはんは“あたりまえ”に食べられるものになりましたが、日本人が喜びを感じながらお米を食べてきたことを知ると、日々のごはんが、また違ったものに思えてきませんか?

いま、〝あたりまえ〟に目を向けること

私たちの生活の中に“あたりまえ”にあるお米も、その歴史をひもとくと、生活の知恵や、豊かな文化を含んでいることがわかります。

昨今耳にする〈アート思考〉――自分なりのものの見方や考え方を持ち、価値観を再定義する思考法――も、“あたりまえ”に目を向けることから始まります。

身の回りの “あたりまえ”には、“あたりまえ”になった理由があります。普段は気に留めないことに、改めて目を向けて考え、発見する楽しみを味わってほしいと思います

参考文献
柳田國男監修・民俗学研究所編 1980年『年中行事図説』岩崎美術社
「日本の食生活全集 東京」編集委員会編 1988年『日本の食生活全集 13 聞き書 東京の食事』農山漁村文化協会
瀬川清子 1986年『日本の食文化体系 第一巻 食生活の歴史』東京書房社
関沢まゆみ編 2019年『日本の食文化 2 米と餅』吉川弘文館

文/岸澤美希
イラスト/渡部智美 @satomiwatabe_illust